養豚場で豚に混じって這う女性の写真

MO 1'
image © miru kim

養豚場で豚に混じって映っているのは、ニューヨークを拠点として活動するアーティストMiru Kim
これらの写真は'the pig that therefore I am'(豚、したがって私であるもの)と題された一連の作品です。

'IA 2'
image © miru kim

アーティスト自身の解説によれば、豚と人間とは生理学的に多くの類似点があることに気づいたそうです。豚は通常、怠惰で汚く貪欲で、もっとも非人間的な動物のイメージを伴って想起されますが、実際にはそうではないのではないか、という視点がこの作品にはあるようです。

'NY 2'
image © miru kim

'IA 5'
image © miru kim

(左) 'composition 1' (右) 'composition 5'
images © miru kim


他の写真はアーティスト自身のサイトで見ることができます

アルゼンチンの牛肉産業が崩壊した話

安価で質のよい牛肉が食べられることで有名なアルゼンチンでは近年、牛肉産業が崩壊したようです。
牛肉の生産が盛んなアルゼンチンでは牛肉の輸出が一大産業になる可能性がありましたが、規制によって牛肉の輸出に多額の税金がかけられるようになった結果、産業そのものが縮小してしまいました。

政府の言い分は国内の貧しい消費者が牛肉を食べられるように輸出に制限をかけるというものでしたが、2006年に180日間の牛肉輸出全面禁止が行われていこう様々な規制がかけられた結果、牛肉の生産者そのものが減り、牧畜に使われていた土地は大豆の耕作地に転用されました。

国内の消費者にとって牛肉の価格は倍に跳ね上がり、消費量は結局10年前の水準に落ち込んだそうです。



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The Unfortunate State Of The Argentine Beef Industry

マルボロの歴史


タフな男のタバコといえばマルボロというイメージがカウボーイのグラフィックのおかげで定着していますが、じつは紆余曲折を経てマルボロは男らしい男のタバコになったようです。

マルボロの起源:女性のタバコとしての出発


マルボロの名前は、このタバコの工場が当初あったグレートマルボロというロンドンの通りの名前が起源です(現在はマルボロを生産する最大の工場はアメリカのバージニア州リッチモンドにあります)。

1924年にタバコ製造会社のフィリップモリスがマルボロを発売したとき、マルボロは当初は女性向けのタバコでした。マルボロの当初のキャッチコピーは、“Mild as May”(五月のようにマイルド)というものでした。当初の広告も女性をターゲットに制作されていました。

Photo credit

ところが第二次大戦中にマルボロは売れなくなり、マルボロのブランドは一時的に市場から消えました。この時期にはマルボロと競合する新しいブランドが現れてきていました。たとえば、キャメル、ラッキーストライク、チェスターフィールズといったタバコです。これらは戦時中に主にアメリカ軍の兵士に売られたもので、一般向けにも出回ってきていました。

ブランドイメージの転換:モテる男のタバコへ


1942年にリーダーズダイジェストが「タバコの広告の事実とフィクション」という特集記事を組んだ時、タバコと肺がんの関係が取りざたされ始めました。

この時期になってマルボロは再び市場に投入され、こんどは「安全な」フィルターが付いたブランドとして売られました。ところが他のタバコ会社も同時期にフィルター付きのタバコを売り始めたので、マルボロの新しいブランドイメージを打ち出す必要が出てきました。このときになってマルボロのフェミニンなイメージを脱却して新しい顧客のセグメントに売ることになったのでした。

マルボロが想定した新しい顧客とは、ほとんどニコチン中毒のようにタバコ好きだけれども、肺がんになるのが怖い男性でした。

マルボロマンとして知られるカウボーイは1960年代にはじめて登場しました。このカウボーイのイメージは、マルボロの新しい(男らしい)イメージを打ち出すものでした。このようにしてマルボロは、女にモテるタフな男のタバコというイメージが定着し、白人男性が最も好むタバコの一つになりました。

マルボロは世界で最も価値あるブランドとしてランキング入りし、1992年には320億ドルのマーケットの価値があるとされました。

プロペラで走るドイツの列車シーネンツェッペリン

列車はまだ蒸気機関車が一般的であった1930年、ドイツではシーネンツェッペリン(Schienenzeppelin 「レールツェッペリン」)というプロペラ走行の列車が作られ、実際に走っていました。

蒸気機関車と並ぶシーネンツェッペリン 写っているのは後部

BMW IVという飛行機のためのエンジンを搭載し、1931年には速度200kmを達成しました。
この記録は石油で走る列車の速度としては現在でも最高記録であるそうです。このような速度が出せた理由は、20.3トンと軽量の車体を使用していたためでした。

プロトタイプ


当時の映像 プロトタイプが走行中

プラットフォームで停車中のシーネンツェッペリン

シーネンツェッペリンは1930年代に開発が続けられましたが、1939年にはドイツ軍が資材を接収するために解体されてしまいました。
先進的とも見えたシーネンツェッペリンがこのように短命に終わってしまった理由として、やはりプロペラがむき出しで危険だったことが挙げられています。またその構造上、他の車体を牽引して走ることができないという難点もありました。

走ってくるシーネンツェッペリンに手を振る人々

シーネンツェッペリンについて:
シーネンツェッペリン:Wikipedia
Franz Kruckenberg's Schienenzeppelin
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